こういうことを書いてしまって誤解されたら嫌なんですけど、私は、浮気って、倫理的な観点から話をしてもしょうがないと思うんですよ。
もちろん倫理的に見て、浮気は悪い。
妻から見たら、それを今さら考察する余地はない。
でも浮気が悪いことだという実感があまりなく、妻を苦しめているつもりもないし、罪悪感もあまり感じていなかったりする男性もいます。
でも、妻としては、とにかく浮気はやめさせないといけないから、まずは証拠を見つけて問いただして白状させて、相手の女と別れさせて、なんなら慰謝料も請求して……
浮気をオートメーションのように解決しようとすると、そういう話になってしまうんだけど、大事なのはその結果として、あなたが何を得るか、あなたが求める未来への道をちゃんとつなぐことができるかどうか、ということだと思うんです。
言うまでもないことですが、浮気というのは人の心が起こすものです。
人の心は、さまざまな環境や事情、心の中にある不満やストレスの影響をうけます。本人は浮気をする気などまったくなかったのに、心ならずも「そうなったしまった」ということだってあります。
決して浮気を正当化するのを許すとか、浮気をしても仕方がないといっているのではないのです。
ただ、浮気が悪いということがわかっていても、理性ではブレーキがかけきれずに浮気に至ってしまうケースもあるし、気が付くと相手の女性のいうままになって、ろくに判断力も思考力もないままに、ご主人自身わけがわからなくなっていることもあるんです。
そういう夫に、浮気をむやみ責めたてて、責任を取るように求めても、なかなか心から「悪かった」という気持ちにはならないものです。
もちろん浮気をした以上、ご主人には反省して、悔いてもらわなくてはいけません。
でも、それは『浮気という行為に対して』ではないんです。
その結果として、あなたを苦しめてしまったこと。
悲しませ、辛い思いをさせてしまったこと。
そこに思いが向いて、大切なあなたを二度と悲しませたり、辛い思いをさせたくない、と思うからこそ、浮気という行為を悔いて、『二度と繰り返さない』という誓いを心に持ち続けることができるんです。
そこにあるのは倫理的な思考などではなく、「愛」だと思うんですよね。
要するに、
本当に大切にすべき人だ誰なのか。
本当に守るべきことは何なのか。
そこに気づくこと。その原点に立ち返ること。
『愛を取り戻す』って、つまり、そういうことだと思うんですよね。