夫婦のルールは必要なのか? その①

夫婦において、「ルール」について話しあう機会って、普段はあまりありませんよね。

たとえば、『ゴミ出しは夫がすること』とか『犬の散歩は夫がさせること』といったようなルールなら、決めているご夫婦もいらっしゃるのかもしれませんが、ここでお話したいことは、そういうことではないんです。

ここでいう「夫婦のルール」というのは、『どこまではOKで、どこからがNGか』という意味のルールです。

ひとたび不倫などが発覚した場合、この認識のズレが、二人の間でとても大きな問題になってくることがあります。

たとえば、夫が同僚の女性と一緒に昼食を食べたからって、それだけで「不倫」といえません。

これは、わざわざ夫婦で話し合いをしなくても、互いの認識がずれることはないと思います。

でも、仕事が終わった後に、夫が同僚の女性と二人だけで飲みに行ったとしたら、たとえ「不倫」ではないとしても、それを快く思う妻はいないでしょう。

ところが夫自身は、「自分は別にやましいところはないし、このくらいはいいだろう」と本気で考えていて、「浮気」という認識もまったくなくて、単に友達と会っているくらいの感覚でいることが少なくありません。

つまり、「他の女の人と会っている」という事実はひとつでも、妻は「不倫」としてとらえ、夫は「単なる付き合い」と主張するという、認識のズレが起きてくるということなんです。

この認識のズレを埋めないままに、一方的に夫を責めても、夫がそれがなぜ悪いのか、どうして妻がそんなに怒っているのか理解できません。

そのため、浮気を問いただすときには、自分と相手との間にある問題認識のすり合わせというか、レベル合わせをすることが本当はとても大事なことだったりします。

そうしないと、その延長線上でどんどん夫と妻との間で認識のズレが広がっていってしまいます。

なにもこれは、不倫のボーダーラインを決めるということに限りません。

夫婦において、基本的に隠し事をしない、嘘をつかない。すなわち、嘘をつかないとできないようなことはしない、何があっても正直に話すことを約束するという「最低限のルール」を確認しあうということでも構いません。

この最低限のルールに基づいて行動していれば、少なくても「妻に対してやましいことを作らない」という倫理観が備わってくるので、認識のズレからくる過ちがあったとしても、しっかり話しあうことで反省や謝罪、後悔といった気持ちにつながってきます。

ところが、こうした最低限のルールが備わっていないと、「本当はバレたらヤバいんだけど、わからないようにするから大丈夫」という感じで、自分勝手な倫理感で行動するようになってしまいます。

これは夫の考え方や倫理観、生い立ち等によっても、その認識の度合いは違ってきます。

たとえば、若いころから女性の友達がたくさんいて、結婚したあとも彼女たちの交流が続いているような男性の場合、それ自体が当たり前の日常なわけです。

すると、その現場を目撃されて、妻に問いただされたとしても、「俺は昔からこうやってきたし、これの何が悪いんだ?」ってことになってしまって、ろくに話し合いもできない、ということも起こってきます。

実際、ある方のケースでは、「彼女とは幼馴染だし、君と出会う前から付き合いなんだよ。なのに結婚したからってまったく会わなくなるのほうが不自然だろ?」と切り返されて、何も言えなくなってしまった、なんて事例もあります。

いずれにしても大事なことは、ルールの基本が『悪いことをしているか否か』という目線ではなく、それが夫婦の関係を築いていく上で好ましいのかそうでないのか、という目線で見るということです。

もっと言えば、社会通念上のルールや法律上の解釈よりも、夫婦としてのルール、幸せのあり方を優先にした考え方を夫婦間で共有していくことが大事です。

そうしないと、『彼女とは肉体関係がないから、俺は浮気はしていない』という、法律を傘にした夫の理屈がまかり通ってしまって、妻は黙って耐えるしかない、という悲しい結果になってしまいかねないです(>_<)

ただ、夫婦関係をルールで縛りつけるというのとは意味が違います。

夫婦間でルールが多ければ多いほど、夫婦としてうまくいかない、というデータがあることも事実です。

なので、あくまでルールと言うよりも『モラル』として、どこまでか許容範囲なのかを認識しあう、ということが大切ですね。

夫婦のルールは必要なのか?その②