男の離婚にともなう子どもの悩み
夫婦関係がうまくいかなくなって、離婚を考えざるを得なくなったとき、親として一番に心配で、悩みとなるのがお子さんの問題でしょう。
子どもの心に大きな傷を残してしまうのではないか、
将来子どもが問題を起こすのではないか、グレてしまうのではないか、
子どもが小さい場合、母親の側に子供が引き取られることが多く、
自分は子どもと離れて暮らすことになるのではないか、などなど、
心配事は次から次へと浮かんできます。
ちなみに、離婚にともなう子どもの悩みとしては、
・子どもの理解が得られないのではないか
・親権を得ることができないのではないか
・子どもにひとり親の不憫な思いをさせてしまうのではないか
・ひとり親は子どもの就職や結婚に不利なのではないか
・離婚が原因で子どもがグレてしまうのではないか
・ひとり親で子どもがまともな大人になってくれるか不安
・子連れ再婚は難しいとのではないか
・子どもの受験、通学等に支障が出るのではないか
・子どもが一人の時間が長くなり、防犯上の不安がある
などがあります。
でも、これはいわば、あくまでも親の視点からみた考えで、
子どもの視点に立ってみると、ちょっと違うようです。
たとえば、「離婚が原因で子どもがグレないか心配」という理由、もしも、当のお子さんが聞いたら、どう思うでしょうか。
その理由であなたがたが離婚をためらって、愛情もないままに我慢の日々を重ねて、家庭内別居で憂鬱そうに暮らしているのを見せられていたら、かえってお子さんのほうから、「別にグレね~から離婚しろよ」と言われてしまうかもしれませんね。
たぶん、私が子どもの立場なら、言いますね(^_^;)
あるいは、「そんな顔、毎日見せられてるからグレたくなるんだ」と反発材料にされてしまうかもしれません。
当人であるあなたがたにしても、離婚の決断ができずに、無理に感情を抑えて生活していると、体調が狂ったり、仕事に支障をきたしたり、無感動や無気力になったり、むなしさでどうでもよくなったり、思わぬところで感情を爆発させたり、イライラして自律神経失調症になったり、アルコールに浸ったりすることがあります。
そもそも親のほうが子どもの理解を得るためのプロセスを、きちんと踏んでいない可能性が高いです。
離婚などの問題で、子どもが理解できる範囲は、大人からみたら非常に狭いです。
なんといっても、人生経験がほとんどないわけですから。
なので、いきなり離婚という問題を子どもの前に突きつけても、当惑し、拒否されるのはあたりまえです。
ですから一足飛びに離婚という結論をぶつけるのではなく、まずは子どもの視点に立って、一つ一つの納得を積み重ねていくこと、たとえば、あなたがたがどういう思いで離婚を考えているのか、離婚によって何が変わるのか、家族はどうなるのか、親子の関係はどうなるのか、といった点をきちんと段階を踏んで説明し、安心を与えつつ、話あっていかなければ、子どもは理解できません。
理解できないことは、受け入れられるわけがありません。
もちろん子どもの年齢によって、これらのことがうまく説明できない、説明しても理解できないという場合もありえますけれど。
でも、あなただって、離婚しようと決心するまでに、一足飛びにそこに考えが到達したわけではないでしょう?
さまざまな経緯があって、辛い思い、苦しみを味わった結果として、その考えにたどり着いたはずです。
あなたが苦しんでいることは、おそらくお子さんも気づいているはずです。
ですから、もしもその状況がずっとずっと続いていくといたら、むしろそっちのほうがお子さんにとってはキツい話かも知れません。
それでなくても、新聞やテレビでは、夫婦の不仲が子どもの自殺や非行の原因になっている、みたいなことが書いてあったり、コメンテーターが言っていたりします。
つまり、離婚はしてないけど夫婦が不仲でいる、ということも、実は離婚に劣らないくらいの大きな傷を子供の心に与えていることがあるのです。
まして、日々の暮らしの中で、あなたがたご夫婦がたとえ一日10分でも、幸せな様子を見せて暮らしているのならまだしも、必要なこと以外にはろくに会話もなく、食事も一緒にせず、
寝るときも別々・・・もしくは、互いに無関心。
そういう状況では、いくら表面上取り繕っていても、お父さん、お母さんが実は仲が悪くて、夫婦の間が冷めてしまっていることくらい、あなたのお子さんは一発で見抜きますよ。
子どもは、そういうところは驚くほど敏感に感じ取ります。
なぜなら、あなたがお子さんの幸せを願うように、お子さんもまた、あなたの幸せを願ってくれているものだからです。
ですから、むしろ「子どもが・・・」ではなくて、「あなたが」ご自身の問題として離婚をしっかりと受け止め、そのうえで、お子さんへの影響をできるだけ小さくおさえ、お子さんの理解と信頼を失うことなく、一緒に新しい明日を迎えていけるように努力すること、それがもっとも大切ではないかと思うのです。