ときおり『夫婦の意思疎通ができず、夫が何を考えているかわかりません』というご相談をいただくことがあります。
決して夫と不仲なわけではないけれど、ちゃんと向き合えてるかと言われたら、そうでもない気がする、、、。
もっと夫婦の時間を持ちたいとは思うけど、子育てや家事、仕事に忙しくて、心の余裕もあんまりないし、それに、小さな不満をいちいち言ってたらキリがないから、『あきらめ』に転換して、今日一日をなんとかやり過ごしていくことで精いっぱい、、、、
そんな日常に『このままではいけない』と、一発奮起して夫とコミュニケーションをとろうとしても、反応が薄くて会話が続かなかったり、二人でいても空気が重くて『なんかもう、わけわかんない、、、』なんてお話も、よく伺います。
『私が話しかけると、夫はとても不機嫌な様子になります。話をしたくないんだな、と思って、私も話すのをやめてしまいます』という方もいます。
このように、夫婦において意思の疎通が難しいのは、『会話をしようとする妻と、会話を面倒くさがる夫』という図式のなかで、『互いに会話を求めあう状態』になれてないことも要因のひとつです。
これは男性と女性の『会話』に対する認識の違いも背景としてあるようです。
たとえば男性に「会話は何のため?」と聞くと、『情報を共有するため』とか『自分の意思を伝えるため』といった答えが返ってくることが多いです。
それは決して間違いではないけれど、もしも女性がこの答えを聞いたら、『なんて味気ない、寒々とした答えなのかしら』と感じてしまうかもしません。
意思の疎通をはかるためには、会話による情報の共有は不可欠です。でもそれだけではなく、同時に言葉を通して優しさや温かさを相手に伝え、思いやったり気遣ったりする気持ちを感じあうことも大変重要です。
これって、なんだかすごく難しいことのように感じるかもしれませんが、たとえば朝起きて、窓から差してくる日の光を見て「おはよう、今日はいい天気だね」と声をかけたときに、「おはよう、晴れてよかったね」と返事がくれば、それだけでも気持ちよく、清々しい一日を始められますよね?
その会話が絶対に必要かとわれたら、別に言わなくても不都合はないけれど、でも、このたった数秒の会話があるだけでも、互いの表情や態度にも色合いが増すというものです。
夫婦の意思の疎通って、こういう『なんでもない会話』を通して、気持ちの波動を互いに感じあうことから始まっていくような気がします。
あと、『夫婦なんだから、言わなくてもわかるはず』とか『言わなくても、このくらい察してよ』といった阿吽の呼吸を求める方がいらっしゃいますが、50年も連れ添ったご夫婦ならともかく、やはり日常の会話が足りないと、自分の意思などなかなか伝わりません。
ときにはぶつかり合ったり、喧嘩になったりしながらも、考え方や意見の相違を乗り越えて理解しあっていく『努力』もやはり必要です。
夫婦喧嘩も度が過ぎると良くありませんが、喧嘩もまた、大事なコミュニケーションであり、感情を理解しあう機会でもあります。
昔から、『喧嘩をするほど仲がいい』といいますからね。